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◆SEA-MAIL メルマガ版 2013 年 第 2 号◆
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本メルマガでは,定期的に SEA 主催のイベント情報や幹事による
コラム等をまとめてお伝えします.
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◆目次
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1. これから開催するイベント
2. これまで開催したイベント,その他の報告
3. 幹事コラム: 玉井 哲雄(法政大学)
「David Notkin のこと」
4. SEA Forum のテーマ募集
5. 本メルマガへの寄稿募集
6. SEA on ソーシャルメディアのご紹介
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◆1. これから開催するイベント
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これから開催する SEA 主催のイベントです.
多数のご参加をお待ちしています.
●実務家のための形式手法セミナー
1. 期日: 2013 年 7 月 6 日 (土曜日)
2. 会場
九州大学システム LSI 研究センター
百道サテライトキャンパス 会議室 B (205 室)
福岡市早良区百道浜 3-8-33
福岡システムLSI総合開発センター 2 階
http://www.ist.or.jp/lsi/
3. 参加費 1,000 円
http://sea.jp/?p=1495
●ソフトウェア・シンポジウム2013
ソフトウェア・シンポジウム2013は,2013年7月8日(月)から
7月10日(水)に岐阜の長良川国際会議場で開催されます.
今回は,7月7日(日)にプレイベントとして,「Serendipity(幸運な
発見)」と題したワークショップも実施されます.
http://sea.jp/ss2013/
https://www.facebook.com/SoftwareSymposium
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◆2. これまで開催したイベント,その他の報告
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●第28回総会
第28回総会は,6月11日に実施され,無事終了しました.
●機関誌SEAMAIL: 復刻版 1986年
これまでに発行されたSEAMAILを順次PDF化しています.
http://sea.jp/?cat=24
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◆3. 幹事コラム: 玉井 哲雄(法政大学)
「David Notkin のこと」
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David Notkin が死んだ.4月22日のことである.今年のICSE(ソフト
ウェア工学国際会議)は,5月18-26日にサン・フランシスコで開かれ
たが,Notkinはその実行委員長(General Chair)だった.その開催を
目前にして,これまでその一切を手配し取り仕切ってきた男が世を去っ
てしまったのである.1955年1月1日生まれということだから,享年58
歳.まだまだ活躍してほしかったと,彼を知る誰しもが思った.
しかし,このICSEの実行委員長を引き受けた時点で,すでにガンにか
かっていることを当人は知っていたはずである.2010年12月1日にも
らったメールには,10日前の検査で大腸ガンが見つかったこと,それ
もかなり進行したもので,次の日曜日に手術を受ける予定であること
が書かれていた.このときすでに実行委員長を引き受けていたかもし
れないが,それからでも辞退することはまだいくらでもできたはずだ.
だからもしかしたら会議開催の時点では自分がいないかもしれないと
いうことを覚悟の上で,実行委員長という激務を続けたことになる.
そういうとちょっと無責任という謗りも聞こえてきかねないが,決し
てそんなことはない.万一の事態に備えて,今回のICSE運営の中心人
物たちと周到な打ち合わせをしており,彼の役割のどの部分は誰が分
担する,ということを決めていたということである.
1. 出会い
David Notkinは,カーネギーメロン大学(CMU)で計算機科学の学位を
1984年に取得し,ただちにワシントン大学に勤めて今日までそこでずっ
と研究・教育を続けた.その間,ACM(米国計算機学会)などを中心
に幅広く活躍.多くの研究成果を挙げ,数多の優秀な弟子を育て,国
際会議開催などの学会活動で類まれな組織力・指導力を発揮した.そ
のようなことの詳細は,ワシントン大学やACMのウェブページから得
られるので,それらを参照されたい.ここでは,個人的な思い出を書
かせてもらうことにする.ただ,「個人的」といってもSEAの活動に
関係することが多いので,必ずしもこの場にふさわしくないとは言え
ないだろうと,独善的に判断している.
Davidに最初に会ったのは,1990年の6月である.そのときはサバティ
カルで日本に来ていて,東工大の片山卓也さんのところにいた.
Davidは僕のことを,彼の先生のNico Habermannから聞いていたらし
い.そこで,話をさらに遡らせて,Nico Habermannとの交流について
触れておくことにする.
Nicoはオランダ人だが,1968年にCMUに加わってから,計算機科学・
ソフトウェア工学の分野で大きな足跡を残した.とくに多くの優秀な
研究者を育てたことで知られ,Davidがやはりたくさんの弟子を育成
したのは,Nicoの衣鉢を継いだものと言える.Nicoは61歳でCMUの現
役中に急逝したが,そんなところまで真似しなくてよいのに,David
はさらに若い歳で死んでしまった.
慶応大学にいた土居範久さんは,1975年から76年にかけての1年間,
在外研究でCMU のNicoのところに滞在し,Nicoを始め多くの人脈をそ
こで作った.1977年に当時の通算省プロジェクト「プログラム生産技
術」の一環としてかなり規模の大きな海外調査が組まれ,その中で,
土居さんと今はどちらも亡くなってしまった廣瀬健さん(早稲田大学),
吉村鐵太郎さん(管理工学研究所)と僕との4人で米国とヨーロッパ
を回ったが,その際に土居さんのつてでCMUを訪れ,Nico に初めて会っ
た.それがきっかけで,1984年6月のソフトウェア・シンポジウムの
実行委員長を務めた際,Nico Habermannを基調講演者として招待した.
このときのソフトウェア・シンポジウムはまだSEAができる前で,情
報サービス産業協会(JISA)が主催だった.岸田孝一さんが委員長をし
ていたJISAの技術委員会が,実質的な主催者である.
Nicoは奥様のMarthaとともに東京を訪れたので,うちの家内や土居さ
んの奥様も含め,家族ぐるみの交流ができた.さらに,同じ1984年秋
に,当時自分が勤めていた三菱総合研究所から中期研修という形で米
国に3か月滞在した際,ピッツバーグも訪れ,CMUの多くの研究者に引
き合わせてもらったばかりか,Nicoの家にも家内ともども招待された.
このとき,Davidはすでにワシントン大学に着任していたはずで,CMU
では会っていない.
こういう背景もあって,Davidとは最初から打ち解けて話ができた.
彼が日本に滞在中のイベントとして記憶にあるのは,1991年1月に行
われた日米ワークショップである.これは協同システム開発株式会社
(JSD)がスポンサーで,日本は鳥居宏次さん,米国はVic Basiliが代
表となってソフトウェア研究者・技術者を集めソフトウェアの信頼性
などの問題について議論をするものであった.このときは,3年続け
て行われたワークショップの3回目で,芝パークホテルで行われた.
グループに分かれての討論で,僕はDavidとともにソフトウェア・プ
ロセスをテーマとするグループ1の座長をやり,そのレポートを二人
で取りまとめた.グループのメンバーは多士済々で,岸田さん,
Martin Thomas,野呂昌満さん,古宮誠一さんなどがいた.
2.1990年代前半のICSEなどの付きあい
同じ,1991年4月に,岸田さんの企画で中国の上海,南京を回る旅が
あって誘いを受けた.Davidが夫人のCathyとともに参加したほか,岸
田,山崎利治,熊谷章,Jon Saylor, 伊野誠,杉田義明,林香,佐藤
圭という面々で,復旦大学,南京大学,南京のソフトウェア研究セン
ターなどを訪れ,発表,討論をするとともに,江南の春を楽しんだ.
たぶん南京でだったと思うが,街の切り紙による似顔絵作りの客に
Davidがなって,あの髭豊かな横顔を活写してもらっていたことが記
憶にある.
この年の5月にテキサス州オースチンで開かれたICSEに参加して,そ
こでもDavidに会っているが,これ以降ほとんど毎年,少なくとも
ICSEでは会うということが続くこととなった.ただ,1992年のメルボ
ルンでのICSEでは,往きの飛行機で片山さんと一緒だったが,乗り換
えのシドニー空港で,シドニーから東京に向かう飛行機のゲートの列
の中にDavidがいるのを片山さんが目ざとく見つけて,しばし話をし
た.つまり,ICSEの会場では会わずに,経由の空港で出会ったという
わけである.彼からその前にメールが来ていて,ICSEの前の週にシド
ニーでワークショップに出た後,東京に行くが,会えないかというの
で,ちょうど行き違いだと返事をしたところだった.メールには10月
に子供が生まれるということも書いてあった.それが後に生を受けて
Emmaと名づけられた彼の長女である.
1993年のICSEはボルチモアで開かれ,片山さんが二人いるプログラム
委員長のうちの一人だった.このとき,1995年のICSEはDavidの地元
のシアトルで開かれ,DavidとRoss Jeffreyがプログラム委員長にな
ることが決まっていた.Davidに指名されて僕とHausi Mullerがその
ICSE’95のツール展示委員長をやることになっていたが,その最初の
相談会を,DavidとRossも含め4人でボルチモアで開いた.
しかし大変だったのは,ボルチモアICSEの1か月後の6月にシアトルで
開かれた,第1回ソフトウェア工学の基礎会議(FSE)のプログラム委
員会である.FSEはソフトウェア工学の理論面に焦点を当てた会議で
今日まで続いているが,今ではACM/SIGSOFT(ソフトウェア工学研究
会)にとってICSEに次ぐ看板会議となっている.それを始めたのが
Davidで,自ら初代のプログラム委員長を務めたが,そのときのプロ
グラム委員会はたった11名で構成された.名前を挙げておくと,
Davidを筆頭に,Harold Ossher, David Wile, John Gannon, Susan
Gerhart,David Garlan, Lori Clark, Nancy Leaveson, Michel Young,
Tom Reppsと玉井である.玉井以外はすべて米国人で,ヨーロッパな
どからは呼ばれていない.面白いのは,男性米国人7人のうち,3人が
Davidであることだ.朝8時半から夜の9時半まで集中して議論したが,
さすがに疲れた.
この会議は1日間だったが,その前の日はDavidが家に呼んでくれて,
そこで初めてEmmaに会った.まだ生後9か月だったが.よく太ってい
て僕が抱いてもおとなしくしていた.夜は彼の家でパーティがあった.
そのパーティのために,Davidが昼,パイク・マーケットというとこ
ろに買い物に行くのに僕もついて行った.Davidはそこでサケ3匹,カ
ニ6匹,さくらんぼと野菜を買った.
FSEの会議そのものは,同じ1993年の12月にカリフォルニア州レドン
ドビーチで開催されたが,これにも参加した.日本からもかなりの参
加者があった.Davidは会議期間を通じて八面六臂の活躍だった.
1994年の9月には,ソフトウェア保守の会議(ICSM)がHausi Mullerの
いるカナダのヴィクトリアで開かれ,僕はそれに参加したが,シアト
ルが近いのでその前に寄ってDavidの家に2泊させてもらった.David
の家には来訪者用の記帳ノートがあって,日本人では片山,鳥居,岸
田,などの名前がすでに載っていた.
この当時,阪大の井上克郎さんが在外研究でワシントン大学のDavid
のところに滞在していた.また,JAISTの篠田陽一さんもいた.僕が
シアトルに着いたのが9月18日だったが,9月20日がEmma の2歳の誕生
日ということで,少し早い誕生会が開かれ,井上一家,篠田さん,米
国人のお母さんと女の子,Cathyのお母さん,などが集まった.
翌朝,David, Emmaと近くのコーヒーショップで朝食.スターバック
スという店で,そのころシアトル流ということで人気が出始めたとこ
ろということだったが,もちろんこちらはその名をまったく知らなかっ
た.スターバックスが東京に出店したのは2年後の1996年で,しかも
それが北米以外の最初の店だったらしい.イギリスでの最初の出店は
1998年という.
この日.Emmaにはベビーシッターが来,やはり大学に行くCathyと
Davidと僕は3人で出かけたが,さすがに出かける際にEmmaが泣いた.
大学に着いてから,Davidのオフィスでしばらく話し,Gail Murphyと
いう彼のPhDの学生の話を聞いた.Gailは今でこそICSE社会の指導的
な研究者として著名だが,このときはまだ学生だったのである.昼は
井上さんとDavidと3人で,Prime Timeというビアホール・レストラン
に行った.午後は現在の研究の話などを互いにした後.学内を歩いた.
よく晴れてキャンパスが美しく,レニエ(Rainier)山が見事に見える.
Davidのオフィスに戻り,二人で歩いて家に帰ったが,歩いて15分ぐ
らいの距離で,気持ちのよい散歩だった.Cathyはヨガのクラスに出
かけ,EmmaとDavidと僕の3人は近くの簡単なレストランで食事した.
歩いてDavidの友人,Jay,を訪ねたが,まだ帰っていなかった.大き
な月が出ていた.
翌20日,Emmaの本当の誕生日の朝も,David,Emmaとスターバックス
に行った.Frankという彼の友達に会った.前の日は,ここで男の子
を連れた夫婦と話した.Davidが社交的なこともあるが,地域の付き
合いがうまくできてるようだと思った.
1995年のシアトルでのICSEは,4月下旬に行われた.Hausiとやったツー
ル展示も無事終わった.
3.Davidの日本びいき
少し先を急ぐと,1998年には鳥居さんを実行委員長,二木厚吉さんと
RichardKemmererをプログラム委員長として,京都でICSEが開催され
た.これには,もちろんDavidも参加した.ちょうど,片山さんを研
究代表とする科研の特定研究「発展機構を備えたソフトウェアの構成
原理の研究」も進行中の時期で,その関係で「ソフトウェア発展原理
ワークショップ(IWPSE)」が開かれ,片山さんが頼んだBob Balzer,
David Notkin, Dewayne Perryなどというところがこのワークショッ
プの実行委員となっていた.僕も中谷多哉子さんとの研究結果をここ
で発表した.
僕は,このICSEでは博士シンポジウムという博士課程の学生を集めて
研究の途中経過を発表させ,指導教員以外の外部の教授や研究者がア
ドバイスをするという催し(ICSEとしては比較的新しいもので,確か
2回目だったと思う)の委員長を務めた.その実行委員にDavidの一番
弟子とでもいうべきBill Griswaldに入ってもらったが,よく働いて
くれた.
この1998年にはDavidはまたサバティカルを取っていて,数か月イス
ラエルに滞在した後,ICSEに合わせて来日し,4週間ほど日本にいた.
それで,5月に一家を家に呼んだ.Emmaは5歳になっており,当時9歳
だったうちの娘とはちょっと歳が離れていたが,一緒に遊んでいた.
遊んでいる中でも,Emmaの頭の良さはよく分かった.その下に,まだ
7か月のAkibaという男の子が生まれていた.
2000年にはまず北京のIFIPの世界大会で会った.開催初日に,政府の
要人が来るので”Attire formal”という注意書きが回っていた.要人
というのが誰なのかはわからない.また,中国でフォーマルな服装と
いうのがどんなものを指すのかも分からなかったが,中国の人に聞い
たらシャツを着ていればよいという程度のことだと言っていた.8月
21日のことで,8月の北京は暑い.
僕は会場からちょっと離れたホテルに泊まっていたので,朝,タクシー
で会場に向かったが,途中で交通の流れが完全に止まって,「要人」
による挨拶の開始に間に合わなかった.この要人のために,道路が完
全にブロックされたらしい.遅れて会場に入ると演説している人がい
るが,どうも江沢民のように見える.最初は原稿を見ながら中国語で
硬い調子で話していたが,途中で原稿を置いて英語に切り替え,ざっ
くばらんな調子で若いころに米国で電子工学を勉強したことなどを話
した.コーヒーブレイクになってDavidに会ったら,珍しく紺の背広
を着ている.Attire formalである.彼に聞いて,本当に江沢民であっ
たことを確かめた.
同じ年の9月に,法政大学の市ヶ谷キャンパスで,ICECCS(複雑な計
算機システムの工学国際会議)が開かれた.法政の劉少英さんが仕掛
け人だが,Davidも招待講演者として来ていた.他に 國井利泰さん,
Mauro Pezze, JohnMcDermidや玉井も招待講演を行った.驚いたこと
にその國井さんがEdFeigenbaumを連れてきた.2日目の9月13日に会場
に行ったが,國井さんの講演の終わりかけの時間帯だったので,中に
は入らず,ホールでGeorge MasonのJeff Offuttという人と話したり
していた.そこへ,招待講演が終わって皆ぞろぞろ出てきた.片山さ
んなどにあいさつした後,Ed FeigenbaumとDavidNotkinと3人で話し
こんだ.Feigenbaumは米国空軍が出す基礎研究予算の運営に関与して
いて,そのオフィスが東京にあり,そこに今,5週間滞在しているの
だそうである.日本の研究状況をいろいろ聞かれた.
Feigenbaumには1985年にスタンフォードにAIの調査で行ったときに会っ
ているが,もちろん彼の方ではそのことを覚えていない.この日は,
Doug LenatのCYCプロジェクトの現状についてや,横井さんの日本語
辞書プロジェクトを非常に高く評価していることなどを話していたの
が印象に残る.とにかく,Davidを交えた3人で話に興が乗り,立ち話
からソファーに座りこんで話し続け,昼になったので,25階の食堂に
行き,ピラフやカレーを食べながら話し続けた.
Davidは1997-2001年の間,ACMのSIGSOFTの会長(President)職を務め
た.とくにその間,彼の日本びいきぶりが発揮された.たとえば,
2001年のトロントでのICSEでは,岸田さんにそのICSEへの貢献などに
ついて,ACMから功労賞が贈られたが,これはDavidの推薦によるもの
だったろう.また,彼は僕をACMSIGSOFTの次期の副会長(Vice Chair)
の候補に推薦した.メンバーが主に米国人で,名の知られていない玉
井が選挙で当選するわけはないが,その結果を見越したうえで,選挙
後Davidの推薦により国際リエゾン担当の役員という無投票の役職に
就いた.さらに,この年,鳥居さんが奈良先端科学技術大学院大学の
学長に就任されたが,そのお祝いのあった5月に,Davidはわざわざ日
本に駆けつけて来た.
4.9.11とその後
2001年の9.11のときは,ウィーンにいた.ヨーロッパのソフトウェア
工学会議ESECが数年前からFSEと1年おきに共同開催することになり,
この年はヨーロッパで開かれる年だった.片山さんを中心にわれわれ
が始めたIWPSEも,この年から開催地を日本に限定せず,本格的な国
際会議に発展したが,その海外初のイベントを,ESEC/FSEと併設とし
てウィーンで開いた.その実行委員長を僕は務めた.そしてこの後も
続けてやろうということになり,Vaclav Rajlichと井上克郎さんに次
のプログラム委員長を,青山幹雄さんに実行委員長をやってもらうこ
とで,ICSE2002に提案することにした.そして,片山さん,
KeithBennett, David Notkin, Carlo Ghezzi, 玉井で運営委員会
(SteeringCommittee)を作ることにした.
そういうことを決めた後で,あのニューヨークのニュースが飛び込ん
できた.会議に出ている米国人は皆帰れないのではないかという話に
なったが,9月13日から空港の閉鎖が徐々に解除されたようだった.
この時に限らないが,ホテルで取る朝食の時間が,Davidとよく同期
する.ウィーンのホテルでも,9月13日にはDavidとKevin Sullivanと
食べ,翌朝は,DavidとYvonne Coadyと取った.Yvonneはこの年の10
月から同僚の増原英彦君が行くブリティッシュコロンビア大学(UBC)
の人である.その前の日は,彼女とGregor Kiczalesと話をした.
2002年のICSEは本来ブエノスアイレスで開かれる予定だったが,アル
ゼンチンの経済不況,政情不安のために急遽場所が変更されて,米国
フロリダ州のオーランドで5月に開かれた.ICSEとの併設を予定して
いたIWPSEも,やはりオーランドで開催した.昼休みに,David
Notkin, Carlo Ghezzi, 青山,片山,井上と次回のIWPSEについて相
談し,2003年9月のヘルシンキのESEC/FSEに併設することにした.
SIGSOFTの会長職は2001年の途中に,DavidからAlex Wolfに引き継が
れ,僕もICSEの際などにAlexによって招集される幹部会に出席したが,
Davidも数年間は前会長として出席していた.会長はAlexからさらに
Davidの弟子のBillGriswaldに引き継がれ,そのBillの任期中も僕は
役を続けたが,その終わりごろにこちらから申し出て辞めさせてもらっ
た.現在は香港工科大学のShing-Chi Cheungが僕の後を引き継いでい
る.
Davidと最後に会ったのは昨年(2012年)11月で,米国ノースカロラ
イナで開かれたFSE 兼 ICSE2013のプログラム委員会という場である.
Davidは実行委員長としてプログラムの作成状況を見守るとともに,
プログラム委員会の晩餐会の手配などの実行委員長としての仕事をこ
なした.この時も,ホテルの朝食に行く時間が同期して,2日続けて
一緒に食事した.この年の8月に何度目かのガンの手術をしていて,
東京で開かれた情報処理学会ソフトウェア工学研究会主催の「ソフト
ウェア工学シンポジウム」の基調講演を,直前にキャンセルしていた
が,思ったより元気そうに見えた.こちらから病気のことについては
あえて触れず,FSEの第1回のシアトルでのPCのときのこと,泊めても
らった時の朝,当時あまり知られていないスターバックスに連れて行っ
てもらったこと,などの昔話をしたら,よく覚えているねと感心して
いた.SEAの皆さんには退屈かもしれない個人的な交流の歴史を長々
と書いたが,このようなつながりのあちこちにSEAの活動が結びつい
ていることをご理解いただき,ご勘弁いただければ幸いである.
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◆4. SEA Forum のテーマ募集
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SEAでは,今後もソフトウェア技術者の方にとって魅力的なForumを企
画,提供していきたいと考えています.採り上げて欲しいテーマやご
要望がございましたら,お気軽に,下記の専用メールアドレスまでご
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forum-req [at-mark] sea.jp
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◆5. 本メルマガへの寄稿募集
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本メルマガでは,毎回幹事のコラムを掲載しておりますが,会員のみ
なさまからの寄稿も歓迎致します.「メルマガへの寄稿」と明記の上,
下記の問い合わせ先までご連絡ください.
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◆6. SEA on ソーシャルメディアのご紹介
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SEA-MAIL メルマガ版 2013 年 第 2 号
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